STAFF

スタッフ

南浦和院
遠山 深

  • 6歳からサッカーを始める
  • 帝京高校に進学し、18歳でインターハイ全国制覇
  • 神奈川大学中退後、21歳で単身南米アルゼンチン、ウルグアイへ
    アルゼンチン3部リーグ、ウルグアイ1部リーグでプレー
  • 24歳からFC岐阜、沖縄かりゆしFCなどでプレー
  • その後、膝を骨折して27歳で引退。治療家の道を志す。
  • 医療系の専門学校で3年間学び国家資格である鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師免許を取得。
  • 2017年に南浦和にカラリノ治療院を開業。
  • 2023年にカラリノ蕨院、2024年にカラリノ与野院をオープン
南浦和院 遠山 深

治療業界入りのきっかけ

サッカー現役中に膝を骨折し、3回手術するも医師に復帰は難しいと言われていた自分を復帰に導いてくれた治療家に憧れ、この道を目指しました。

現在までの道

幼いころから好奇心旺盛で、何にでもチャレンジし、失敗しては起き上がってきた人生。両親が好きなことを好きなだけさせてくれたおかげで、毎日サッカーボールを追いかけ、のちに日本、アルゼンチン、ウルグアイの3カ国でサッカー選手として生活を送りました。

人より才能があったわけではありませんが、サッカーを続けることができる環境に恵まれたと思っています。

怪我ですぐに現役を引退することになりましたが、20年にわたる全身全霊をかけたサッカー経験が培ったであろう、チャレンジ精神、適応力、生身の感覚はいまの自分の強みとなっています。

3年間の専門学校では、初めて自分で自分の学費を払い、解剖学、生理学、病理学、東洋医学など体に関する16科目の教科を学び、国家試験に合格しました。

整骨院で働きながら学校に通い、国家試験の勉強は大変でしたが、職場の方やクラスメイトの協力のおかげで何とか乗り越えることができました。

過去の受験をすべて推薦でかわしてきた自分には地獄のような勉強でしたが、自分で決めた分野の勉強は、義務教育にくらべて本気度が100倍で、人体専門の勉強はとても楽しく興味深いものでした。

整骨院で治療法や体の診方を学び、専門学校で知識を得る毎日は、忙しくも治療家としての基礎が培われた期間でした。

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「遠山さんがあきらめたら、治るものも治りません。大丈夫です、必ず治ります」

治療家を志すきっかけとなった先生から頂いた言葉です。

現役中に負った怪我で、患者として膝の治療とリハビリを一年間うけていました。もう一度現役に復帰してサッカーがしたい気持ちでしたが、手術から半年以上たっても痛みが引かず、今思えば心のどこかで復帰をあきらめていたかもしれません。

先生の言葉はさりげなく、優しいトーンでしたが僕にはグサッと刺さりました。

自分は何がしたいのかもう一度向き合うきっかけになりました。私の気持ちが切れているのを見抜き、はっきり言ってくれた先生の言葉は今でも忘れません。それから、なんとなく良くなってきたかな?というくらい少しずつですが、私の膝は回復し、最終的にはサッカーに復帰することができました。

治っていくために大切なこと

本来、体の構造はみな同じですが治り方や治りの良し悪しは人それぞれです。

治療家になってから思えば、私には先生のあのお言葉が治癒に向かうスイッチになりました。私たちの感情や意欲はホルモンバランスを変化させ免疫をコントロールします。心や脳の健康は、体を治すうえでとても大切になるのです。

もしわからないことがあれば、どんな小さな疑問でもお伝えください。改善するための施術とそのアドバイスを正確にお伝えします。

しっかり体に向き合えれば痛みは改善します。どんな症状でも、まずはご相談ください。

あなたの体をサポートできることを願っています。 

カラリノ整体院 遠山 深


蕨院
方山 知子

  • 1985年 栃木県生まれ。父、母、兄、姉の5人家族の末っ子
  • 幼少期から父の影響でノルディックスキーを初め、全国大会へ2度出場
  • 地元高校を卒業後、都内にある栄養専門学校を卒業(栄養士免許を取得)
  • 20歳頃初めて整体を受け、その時の体の変化に衝撃を受ける
  • 28歳で結婚、2人の子供を授かる
  • 東京リエイチ整体アカデミーで認定整体師取得、整体マスターコースを卒業
  • カラリノ治療院で施術を経験、2023年2月カラリノ整体院蕨院を開院
蕨院 方山 知子

整体との出会い

20歳の頃、初めて姉に連れられて整体に行きました。その方は整体とマジシャンとギタリストという異色の組み合わせの持ち主、なんとなく面白そうという興味だけで行きました。

しかし受けてみて、今まで自分の体のことなんて考えたこともなかったのですが、その時に受けた整体で体がものすごく軽くなり、味わったことのない体の変化を感じた事を今も鮮明に覚えています。

現在までの道

それからの生活は、ごく普通に専門学校を卒業し、普通の社会人生活を歩みました。一人暮らしをして、仕事をしながら友達と遊び、時には海外旅行に行ったりと毎日楽しい日々でした。結婚して2人の子供を出産し、仕事と家庭を両立させ、そこでも特に生活に不満はなく子供の成長も楽しく、充実した日々を送っていました。

しかし、通勤で都内まで通って家事や子育てをする生活に疑問を持ち始め、このままこの仕事は本当にやり続けたいのか、こんな生活をしたいのか考えて家族にも相談して、心機一転、転職してやりたいことをやろうと決めました

整体師になるまで

じゃあ私がやりたいことは?と考えたとき、20歳の頃受けた整体がきっかけで実はずっと興味があった事を考えました。家族にも友達にも言っていなかったけれどずっと。

見様見真似で家族にそれっぽい事をやってあげたり、それで何となく嬉しくなったり。

当時施術を受けた方はマジシャン整体師だったので、あれはマジックなのかと錯覚するようなbefore afterの変化で、整体は特殊な限られた人が出来るものだと思っていました。

しかし自分も体の不調から整体やマッサージを受けるようになり、自分の手で相手を癒して喜ばれ自分も嬉しくなる、そんなWin-Winな関係。それが仕事に出来たら最高じゃないか。今まで仕事は「やらなきゃいけないもの」という考えでやっていましたが、好きな事を仕事にしてもいいんじゃないか、と思うようになりました。この気持ちを正直に家族に相談した所、ビックリはされたものの、やりたいならやって良いよ!と言ってもらえて、整体の学校に通うことにしました。

理想の整体師になるため

学校に入学してみると思ったより楽しい!まず初めにそう思いました。入学した初日にもらった教科書を見た時は正直後悔した気持ちにもなりました。自分の知らない事だらけで辛いと思うのかと思ったら、それを楽しいと思っている自分に自分がビックリしました。

幸い家族の理解もあり、また自分の興味が掻き立てられるのもあり、週6日ほぼ朝から夕方まで学校に通いました。もっとゆっくり時間をかけて学べば良かったかな、と思う位一気に駆け抜けた毎日でした。

学校で学んだ事、それは整体師としての基本となり考え方のベースとなります。しかし現場ではセオリーに当てはまらない場合の方が多く、患者さんによって主訴(症状)が様々なため、まずはしっかりお話を聞き、悩みを理解して、施術内容を提案し、それに納得していただく事を大切にしています。

あなたの体のことを誰よりも理解して、二度と辛かった頃に戻らないようにサポートしていきます。

カラリノ整体院 方山 知子


与野院
村田彪雅

  • 地元秩父市で7歳から柔道を始める
  • 小学校、中学校で県の強化選手になり、高校で関東大会出場を果たす
  • 高校卒業後救急救命士を志し大学に進学
  • 大学病院勤務や医療ボランティアなどを経験
  • 都内4年制大学を卒業(救急救命士国家資格取得)
  • コロナウイルスが流行したことをきっかけに、健康の大切さを実感しパーソナルトレーナー、治療家の道を志す。
  • 2nd PASSパーソナルトレーナー養成コース卒業
    2nd PASS認定パーソナルトレーナーを取得
  • 整骨院にて約3年パーソナルトレーニングと施術勤務、その後カラリノ整体院南浦和院での施術を経験し分院をオープン
与野院 村田彪雅

業界入りのきっかけ

大学進学後医療の勉強をしていましたが、健康について自分事として考えることはあまりありませんでした。しかしあることをきっかけに健康についての意識がガラリと変わります。それはコロナウイルスの大流行です。

不要不急の外出禁止、人との接触面会制限、営業時間短縮、就活の延期など様々予測もしていなかったことが起こりました。毎日ニュースでは感染者数が報道されるなかで健康であることが当たり前ではないんだなと強く実感し、それと同時に自分の身は自分でしか守れないとも感じました。

今までは現場の最前線で人の命を救うことを仕事にしたいと考えていましたがコロナをきっかけに健康づくりを仕事にしたいと思うようになりました。そして関わった人が健康になりそのひとがまた健康の和を広げていくことで結果として多くの命を救うことになると考えるようになっていきました。

現在までの道

そこから就職活動をやめ大学と並行して半年間のトレーナー養成スクールに通い始め解剖学、栄養学、運動学など様々学び今の土台となりました。スクールの学費のためのアルバイトと健康維持のための筋トレを週6でこなし、初めての分野の勉強と救命士国家資格の勉強の両立はかなりハードでしたが大学にもスクールにも熱い気持ちを持った仲間がたくさんいたおかげで乗り越えることができました。

スクールのカリキュラムの中にコンディショニング(整体)がありそこから整体の魅力に引き付けられました。とにかく体に変化が出ることで喜ばれるのが嬉しかったのを覚えています。

「仕事をするなら人の役に立ちたい」という気持ちが強かった私は、患者さんやクライアントさんに体を預けていただくには中途半端な気持ちでは出来ない、正しいことを伝えて行きたいという信念を今日まで持ち続けています。

整体を通して

ありがたいことに今まで多くの患者様に施術をさせていただき、痛みが解消したり、できなかったことができるようになったりたくさんの感謝と笑顔をもらいました。自分のやったことで喜ばれるほど嬉しいことはありません。

大人になればなるほど自分のやったことで人に喜ばれることは少なくなっていくと感じます。子供の頃は柔道などで優勝すれば周りのひとはすごく喜んでくれましたが大学生くらいになると同じくらい周囲の人が喜ぶ場面にはなかなか出会えません。

子供の頃のように整体を通して喜びを作ることが私の生きがいになっています。    

健康な未来を作るために

健康とは人によって基準も価値観も違います。私が提供させていただく健康作りが患者様にとって有意義なこととなるよう、しっかりとあなたに向き合い理解を深めた上で、同じ目線で同じ目標を目指してお体のサポートをさせていただきます。時代とともに健康の常識が変わっていきます。悩みに大小はありません。

どんなことでもまずはご相談ください。万全の状態でお待ちしてます。一緒に健康な未来を創っていけることを楽しみにしています。

カラリノ整体院 村田 彪雅